カイエソバージュ1−5 ピタゴラス教団の嫌った燕と豆
しま:
ねえねえことちゃん。
ぼくね、季節の変わり目にのどを痛めるタイプなん。
悪化させてしまうと、熱も出て、食べ物も通らなくなってしまうんや。
加湿したり生姜湯飲んだり、いろいろ試してたんやけど、なかなか解決しなくてね・・
冬の到来は毎年憂鬱だったんや。
こと:
うん。
しま:
ところが今年「のどぬーるスプレー」を試してみたところ、これが劇的に効いてね、
なんとこの冬は、一度も発熱してへんねん!
こと:
そういえば、冬も元気だったね。
しま:
ほんま素晴らしいわ、神がかっとる。
崇め奉るべきはのどぬーる神やで。
こと:
へー。
試してみてもいい?
プシュッ。
しま:
ぎゃっ!
痛っった!
目に入った!
ことちゃん、のどぬーるスプレーや、
のどにぬーるやねんて!
こと:
ごめーん☆
しま:
で、ね。
ぼくはいま、のどの調子がすこぶる良くてね。
よかったら今日の解説役をお任せいただきたいんや。
今日のテーマは燕と豆。
これらがもつ「二つの世界を仲介する」という特異な性質が、神話の面白さを一つレベルアップさせとる。
ここをマスターしたら、ついにシンデレラを読み解く準備ができるというわけやん?
ま~め~ま~め~♪
こと:
ほんまや、心なしかええ声になってる!
それじゃ、お願いしまーす!
しま:
昔々、ヨーロッパのあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは燕の生態に興味を持ちました。燕は渡り鳥で、春の訪れとともに現れます。
そしてちょうどそのころ、草木は芽を出し花は咲き、動物は巣穴から出てきます。
だからおじいさんは、燕のことを「春を告げるほがらかな鳥」なんだなと感じました。おじいさんは燕のことがたいそう気に入ったので、
そこから執拗に燕を観察するようになりました。
すると・・
「この子、水の中から泥やら枯草からもってきて、巣を作ってるな。ジメジメや」
「この子、でっかい口開けっ放して高速で空飛びながら虫食べまくっとる、、」
おじいさんはちょっぴり燕のことが怖くなりました。おじいさんは、寒くなったころに燕がどこへ行ってしまうのかに興味を持ちました。
しかし、翼をもたないおじいさんは、そのことを調べる術を持ちません。「わしは無力やけど、観察によってそのディスアドバンテージを乗り切るんや。」
おじいさんは、冬の燕の姿を想像します。
「せや、この子は冬は魚になっとるんや!だから泥の扱いに長けとるんやろ!」
・・・こんな感じで、燕はたんなる春を告げる鳥やなくて、
「湿った冬の世界」と「乾いた春の世界」を行き来する鳥やと認識されたんとちゃうかな。たぶん。
実際、中世の版画には、漁師が川の中から燕を網で引き揚げている様子が書かれたものがあるんやって。
こと:
(しまちゃんの表現、独特だったな・・)
えーっと、燕がすごい勢いで虫を食べることについて伏線は回収されなかったけど、
これも「死をもたらす存在」として、水や湿りと同じ、暗いイメージを持ち合わせているよね。
しま:
そうやねん。
こんなふうに、二つの世界を行き来すると認識されていたものは他にもある。豆なんかもそうなんや。
節分で「鬼は外、福は内」と豆を投げるのは、豆には死者(鬼)の世界とコミュニケーションする力があると信じられてたからなんやな。
アメリカインディアンでも死者の儀礼では豆をまくそうやし、古代ギリシャでも死者の登場する祭りには豆を供えてたそうやで。
・・なんで豆がそのように扱われるのかって?
それはぼくの口からは語れへん。
(ちょっとエロスが溢れてるんやー。恥ずかしいんやー。よかったら本を読んでみてや!)
こと:
燕や豆には、二つの異なる世界をつないだり、その間を行き来する力があるんだね。
これを中沢さんは「両義的な役割を持つ」と表現しているね。
しま:
ふふ、さてここで面白いお話があるんやで。
ことちゃん、ピタゴラスイッチが誰かわかる?
しま:
ピタっゴラっ、、あっ、JASRACさんこんにちは~。
彼を祖とするピタゴラス教団は、数や音楽など、ただ純粋なものだけが世界の根源を構成できると考えていた。
それゆえに、たとえば異性とのお付き合いとか、純粋なもの同士が「混ざり合う」状態を避けるようにして、思考に余計なものが入り込まないようにしたんやね。
そんな彼らの教義には、
家の中に燕の巣を作らせてはならないだとか、空豆を食べてはならないだとか、一見すると訳のわからないものがあってね。
そんなんやから、現代でも豆知識的にバカにされることもしばしばなんやけど、、豆だけに、、、ププッ、、。
こと:
、、、。
しま:
あ、ことちゃんハトが豆鉄砲を食ったような顔してるよ!豆だけに、、ププッ、、。
こと:
、、、プシュ。
しま:
ひょいっ!
あはは、同じのどぬーるは何回も食わへんで!
で、や。
もうおわかりの通り、彼らは「彼我の世界が混ざり合うようなものを避けた」だけやったんや。
暖かい家の中に暗く冷たい冬の世界を作らせることや、命が宿る体の中に死の世界との繋がりを入れることが、純粋な思考の妨げになると考えたんやなー。
こと:
ピタゴラス教団は、現代哲学やキリスト教修道院の基礎になったと言われているね。
しま:
それだけ立派な学問も、最初は感覚を大切に発展してきたということなんやろな。
こと:
さて。
これでようやく準備が整ったね。
この本のメインテーマといっても過言ではない「シンデレラの物語」。
あの有名なシンデレラ物語が対称性人類学的にどう読み解かれるのか、読み進めるのが楽しみーーー!!
次回シンデレラ、乞うご期待やで!!