カイエソバージュ1-4 かぐや姫 〜だから貴女月に帰ったんか、わっかる〜!〜
しま:
あかーん!
かけへー
ん!
!
僕はアカンやつや・・。
こと:
ん?どしたん?
しま: ''
いまのぼくのアカン具合を縦読みで表現してみたよ。
最初のセリフ、もっかい見直してみてよ。
こと:
・・・そっか。
それでどうしたの?
しま:
それがな、これまでの神話では、
・植物は、繁栄と限りある命の象徴
・岩石は、華やかさはないけど、永い命の象徴
みたいな感じで、昔の人が感覚的にもっているイメージを使うことで、みんなが覚えやすく理解しやすいように物語をまとめてたやろ?
となれば、今回のテーマである燕石(エンセキ)はどんなんかなと思ってね。
ツバメの石、といわれて浮かぶアイデアをポエムに綴ろうとしたんやけど・・。
こと:
(ポエム?)
しま:
なんかね、
ツバメの石を想像してたはずがね、
最後はヒヨコまんじゅうに落ち着いてしまったんや。
こと:
・・・。
しま:
、、あっ、わかるかな?
ツバメの石でしょ?
鳥の形をした石というわけ。
どんどんデフォルメするとさ・・・ほら、ヒヨコまんじゅう。
こと:
、、、まさかこの紙袋の中には、、ひよこまんじゅう!
しま:
・・・もぐもぐ。うっ、ぐっ。
こと:
緑茶、お抹茶、、、。
こと:
さて、しまちゃん。竹取物語って知ってる?
しま:
知ってるよ。
竹を割ったらかぐや姫が出てきたんや。
こと:
美しく育ったかぐや姫は、結婚を申し込んできた相手に無理難題を押し付けて退けた。
このうちの一つが、「燕の巣の中にある子安貝を取ってくる」ことだった。
しま:
あー、たしかに燕が出てきてたね。
「ツバクラメの巣」という語感の良さによって、僕の記憶に強烈に刻み込まれとる。
これも永く伝えられ洗練されてきた話やから、
文中の固有名詞である「燕」や「子安貝」には意味が込められているというんやね。
こと:
そう。
神話に出てくる要素には世界的に同じような意味が込められている、ということを南方熊楠(みなかたくまぐす)という有名な学者さんが発見されたの。
カイエバージュでは、竹取物語という日本の民間伝承を、なんと数万キロも離れたヨーロッパの燕石伝承に足掛かりに、次のように考察してるよ。
〇燕と子安貝
渡り鳥である燕は早春に日本にやってくる。だから、
『冬の寒い季節が終わりかけたころ、燕の到来とともに、自然が活動を再開する。
草木は芽を出し花は咲き、動物は巣穴から出てくる。』
・・・そんな燕が持っている石には「内側にこもっているものを外に出す」という効果があったの。
竹取物語の中では、ツバメの巣の中に、石の代わりに「子安貝」が入っていて、子安貝は燕石と近い性質を持っていた。
〇結婚したがらない娘
結婚が社会とつながる重要な要素であったり、貴重品との交換価値のあるものだった当時の時代背景の中で、「結婚したがらない娘」は、外に連れ出す必要があった。
竹取物語では、かぐや姫が、子安貝の力を借りれば私を外に連れ出すことができるかもしれませんよ、とある意味挑発した。
しかしそれは叶わず、結局姫は誰の手にも届かない月に行ってしまった。
しま:
ほんまにここまで考えて作られてたんやろか・・
こと:
物語の中のエピソードひとつなのに、深いよね。
こういった同じ軸を持った感覚的な論理が世界中で見つかっていて、「神話的思考」という昔の人の哲学的な側面が認められる。
しま:
こんなお話にも、昔の人の哲学が入ってたんやね・・。
考えもしなかったよ。
こと:
中沢さんはこれらを「感覚的な論理」や「野生の思考」といった言葉で表現している。まさに論理や思考のたまものだね。
世界的に分布する野生の思考、、、知的興奮を覚えちゃうよね。
・・・あれ?しまちゃん、どうしたの?
しま:
ひよこまんじゅう、、食べてる場合ちゃうかった、、。
でも何で燕なんやろ。
こと:
燕にもね、ちゃんと意味があるよ!
次回「ピタゴラス教団の嫌った燕と豆」でのお楽しみやでー。
もぐもぐ。
しま:
あっ、さいごのひよこまんじゅう、、!!