カイエソバージュ1−5 ピタゴラス教団の嫌った燕と豆
しま:
ねえねえことちゃん。
ぼくね、季節の変わり目にのどを痛めるタイプなん。
悪化させてしまうと、熱も出て、食べ物も通らなくなってしまうんや。
加湿したり生姜湯飲んだり、いろいろ試してたんやけど、なかなか解決しなくてね・・
冬の到来は毎年憂鬱だったんや。
こと:
うん。
しま:
ところが今年「のどぬーるスプレー」を試してみたところ、これが劇的に効いてね、
なんとこの冬は、一度も発熱してへんねん!
こと:
そういえば、冬も元気だったね。
しま:
ほんま素晴らしいわ、神がかっとる。
崇め奉るべきはのどぬーる神やで。
こと:
へー。
試してみてもいい?
プシュッ。
しま:
ぎゃっ!
痛っった!
目に入った!
ことちゃん、のどぬーるスプレーや、
のどにぬーるやねんて!
こと:
ごめーん☆
しま:
で、ね。
ぼくはいま、のどの調子がすこぶる良くてね。
よかったら今日の解説役をお任せいただきたいんや。
今日のテーマは燕と豆。
これらがもつ「二つの世界を仲介する」という特異な性質が、神話の面白さを一つレベルアップさせとる。
ここをマスターしたら、ついにシンデレラを読み解く準備ができるというわけやん?
ま~め~ま~め~♪
こと:
ほんまや、心なしかええ声になってる!
それじゃ、お願いしまーす!
しま:
昔々、ヨーロッパのあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは燕の生態に興味を持ちました。燕は渡り鳥で、春の訪れとともに現れます。
そしてちょうどそのころ、草木は芽を出し花は咲き、動物は巣穴から出てきます。
だからおじいさんは、燕のことを「春を告げるほがらかな鳥」なんだなと感じました。おじいさんは燕のことがたいそう気に入ったので、
そこから執拗に燕を観察するようになりました。
すると・・
「この子、水の中から泥やら枯草からもってきて、巣を作ってるな。ジメジメや」
「この子、でっかい口開けっ放して高速で空飛びながら虫食べまくっとる、、」
おじいさんはちょっぴり燕のことが怖くなりました。おじいさんは、寒くなったころに燕がどこへ行ってしまうのかに興味を持ちました。
しかし、翼をもたないおじいさんは、そのことを調べる術を持ちません。「わしは無力やけど、観察によってそのディスアドバンテージを乗り切るんや。」
おじいさんは、冬の燕の姿を想像します。
「せや、この子は冬は魚になっとるんや!だから泥の扱いに長けとるんやろ!」
・・・こんな感じで、燕はたんなる春を告げる鳥やなくて、
「湿った冬の世界」と「乾いた春の世界」を行き来する鳥やと認識されたんとちゃうかな。たぶん。
実際、中世の版画には、漁師が川の中から燕を網で引き揚げている様子が書かれたものがあるんやって。
こと:
(しまちゃんの表現、独特だったな・・)
えーっと、燕がすごい勢いで虫を食べることについて伏線は回収されなかったけど、
これも「死をもたらす存在」として、水や湿りと同じ、暗いイメージを持ち合わせているよね。
しま:
そうやねん。
こんなふうに、二つの世界を行き来すると認識されていたものは他にもある。豆なんかもそうなんや。
節分で「鬼は外、福は内」と豆を投げるのは、豆には死者(鬼)の世界とコミュニケーションする力があると信じられてたからなんやな。
アメリカインディアンでも死者の儀礼では豆をまくそうやし、古代ギリシャでも死者の登場する祭りには豆を供えてたそうやで。
・・なんで豆がそのように扱われるのかって?
それはぼくの口からは語れへん。
(ちょっとエロスが溢れてるんやー。恥ずかしいんやー。よかったら本を読んでみてや!)
こと:
燕や豆には、二つの異なる世界をつないだり、その間を行き来する力があるんだね。
これを中沢さんは「両義的な役割を持つ」と表現しているね。
しま:
ふふ、さてここで面白いお話があるんやで。
ことちゃん、ピタゴラスイッチが誰かわかる?
しま:
ピタっゴラっ、、あっ、JASRACさんこんにちは~。
彼を祖とするピタゴラス教団は、数や音楽など、ただ純粋なものだけが世界の根源を構成できると考えていた。
それゆえに、たとえば異性とのお付き合いとか、純粋なもの同士が「混ざり合う」状態を避けるようにして、思考に余計なものが入り込まないようにしたんやね。
そんな彼らの教義には、
家の中に燕の巣を作らせてはならないだとか、空豆を食べてはならないだとか、一見すると訳のわからないものがあってね。
そんなんやから、現代でも豆知識的にバカにされることもしばしばなんやけど、、豆だけに、、、ププッ、、。
こと:
、、、。
しま:
あ、ことちゃんハトが豆鉄砲を食ったような顔してるよ!豆だけに、、ププッ、、。
こと:
、、、プシュ。
しま:
ひょいっ!
あはは、同じのどぬーるは何回も食わへんで!
で、や。
もうおわかりの通り、彼らは「彼我の世界が混ざり合うようなものを避けた」だけやったんや。
暖かい家の中に暗く冷たい冬の世界を作らせることや、命が宿る体の中に死の世界との繋がりを入れることが、純粋な思考の妨げになると考えたんやなー。
こと:
ピタゴラス教団は、現代哲学やキリスト教修道院の基礎になったと言われているね。
しま:
それだけ立派な学問も、最初は感覚を大切に発展してきたということなんやろな。
こと:
さて。
これでようやく準備が整ったね。
この本のメインテーマといっても過言ではない「シンデレラの物語」。
あの有名なシンデレラ物語が対称性人類学的にどう読み解かれるのか、読み進めるのが楽しみーーー!!
次回シンデレラ、乞うご期待やで!!
カイエソバージュ1-4 かぐや姫 〜だから貴女月に帰ったんか、わっかる〜!〜
しま:
あかーん!
かけへー
ん!
!
僕はアカンやつや・・。
こと:
ん?どしたん?
しま: ''
いまのぼくのアカン具合を縦読みで表現してみたよ。
最初のセリフ、もっかい見直してみてよ。
こと:
・・・そっか。
それでどうしたの?
しま:
それがな、これまでの神話では、
・植物は、繁栄と限りある命の象徴
・岩石は、華やかさはないけど、永い命の象徴
みたいな感じで、昔の人が感覚的にもっているイメージを使うことで、みんなが覚えやすく理解しやすいように物語をまとめてたやろ?
となれば、今回のテーマである燕石(エンセキ)はどんなんかなと思ってね。
ツバメの石、といわれて浮かぶアイデアをポエムに綴ろうとしたんやけど・・。
こと:
(ポエム?)
しま:
なんかね、
ツバメの石を想像してたはずがね、
最後はヒヨコまんじゅうに落ち着いてしまったんや。
こと:
・・・。
しま:
、、あっ、わかるかな?
ツバメの石でしょ?
鳥の形をした石というわけ。
どんどんデフォルメするとさ・・・ほら、ヒヨコまんじゅう。
こと:
、、、まさかこの紙袋の中には、、ひよこまんじゅう!
しま:
・・・もぐもぐ。うっ、ぐっ。
こと:
緑茶、お抹茶、、、。
こと:
さて、しまちゃん。竹取物語って知ってる?
しま:
知ってるよ。
竹を割ったらかぐや姫が出てきたんや。
こと:
美しく育ったかぐや姫は、結婚を申し込んできた相手に無理難題を押し付けて退けた。
このうちの一つが、「燕の巣の中にある子安貝を取ってくる」ことだった。
しま:
あー、たしかに燕が出てきてたね。
「ツバクラメの巣」という語感の良さによって、僕の記憶に強烈に刻み込まれとる。
これも永く伝えられ洗練されてきた話やから、
文中の固有名詞である「燕」や「子安貝」には意味が込められているというんやね。
こと:
そう。
神話に出てくる要素には世界的に同じような意味が込められている、ということを南方熊楠(みなかたくまぐす)という有名な学者さんが発見されたの。
カイエバージュでは、竹取物語という日本の民間伝承を、なんと数万キロも離れたヨーロッパの燕石伝承に足掛かりに、次のように考察してるよ。
〇燕と子安貝
渡り鳥である燕は早春に日本にやってくる。だから、
『冬の寒い季節が終わりかけたころ、燕の到来とともに、自然が活動を再開する。
草木は芽を出し花は咲き、動物は巣穴から出てくる。』
・・・そんな燕が持っている石には「内側にこもっているものを外に出す」という効果があったの。
竹取物語の中では、ツバメの巣の中に、石の代わりに「子安貝」が入っていて、子安貝は燕石と近い性質を持っていた。
〇結婚したがらない娘
結婚が社会とつながる重要な要素であったり、貴重品との交換価値のあるものだった当時の時代背景の中で、「結婚したがらない娘」は、外に連れ出す必要があった。
竹取物語では、かぐや姫が、子安貝の力を借りれば私を外に連れ出すことができるかもしれませんよ、とある意味挑発した。
しかしそれは叶わず、結局姫は誰の手にも届かない月に行ってしまった。
しま:
ほんまにここまで考えて作られてたんやろか・・
こと:
物語の中のエピソードひとつなのに、深いよね。
こういった同じ軸を持った感覚的な論理が世界中で見つかっていて、「神話的思考」という昔の人の哲学的な側面が認められる。
しま:
こんなお話にも、昔の人の哲学が入ってたんやね・・。
考えもしなかったよ。
こと:
中沢さんはこれらを「感覚的な論理」や「野生の思考」といった言葉で表現している。まさに論理や思考のたまものだね。
世界的に分布する野生の思考、、、知的興奮を覚えちゃうよね。
・・・あれ?しまちゃん、どうしたの?
しま:
ひよこまんじゅう、、食べてる場合ちゃうかった、、。
でも何で燕なんやろ。
こと:
燕にもね、ちゃんと意味があるよ!
次回「ピタゴラス教団の嫌った燕と豆」でのお楽しみやでー。
もぐもぐ。
しま:
あっ、さいごのひよこまんじゅう、、!!
カイエソバージュ1-3 バナナと石
【中沢新一『人類最古の哲学 カイエ・ソバージュⅠ』講談社選書メチエ,2002】
〇過去記事はこちら
(第1回:神話の時代)
https://d-m-corocoro-studio.hatenablog.jp/entry/livre/cahier_sauvage/1-01(第2回:コノハナサクヤヒメの物語)
https://d-m-corocoro-studio.hatenablog.jp/entry/livre/cahier_sauvage/1-02
こと:
コノハナサクヤヒメ、からのー、もう一話!
インドネシアのポソ族に伝わる神話、、、バナナと石!
しま:
バナナ?
そういえばぼくね、バナナのマメ知識を持ってるんだよ。
こと:
そっか、すてきだね。
それじゃ、バナナの神話に進むよー!
しま:
待って。話させて。
このタイミングでしかお披露目できひん知識なんや。
・・・さて、ここで突然ですがクイズです!
実は、日本に輸入されるバナナはすべからく緑色です。なーぜだ!
こと:
んー、なぜかなー?
さて。
はじめ人間は、神様が縄に結んで天空から釣り下ろしてくれるバナナの実を食べて命をつないでいました。ところが・・
しま:
ちょっ、、神話はじまってるやん!ストップ!
せっ、正解は、、
「黄色く熟したバナナには害虫が入っている可能性があるため、熟す前の青バナナで輸入するよう植物防疫法に定められているから」
でしたー!
ふふふ、店に並ぶころにタイミングよく熟するためって思ったでしょ?
農水省のページで勉強してきなっ!
https://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/1705/01.html
こと:
あっ、しまちゃんそっち歩いたら、、
しま:
(つるっコテン!)痛っ!
なんでこんなところにバナナの皮があんねん!もう!
こと:
(神話だけに、コテン的な、、?)
さっ、バナナと石の話、語るよー!
◆バナナと石
(松村武雄『日本神話の研究』[第三巻]培風館)はじめ人間は、神が縄に結んで天空からつりおろしてくれるバナナの実を食べて、いつまでも命をつないでいたが、あるときバナナの代わりに石が降ってきたので、食うことのできない石などに用はないと、神に向かって怒った。
すると神は石を引っ込めてまたバナナを下ろしてやったが、そのあとで
「石を受け取っておけば、人間の寿命は石のように堅く永く続くはずであったのに、これを斥(しりぞ)けてバナナの実を望んだために、人の命は、今後バナナの実のように短く朽ち果てるぞ」
と告げた。それ以来、人間の寿命が短くなって、死が生ずるようになった。
しま:
素朴!話のすべてが素朴や!
ついでになんか、「ああそうでしたか。」って感じが否めない。
、、、なんだけど、これまでの流れを踏まえて見えてきたところもある。
前回のコノハナサクヤヒメの物語も、植物(コノハナサクヤヒメ)だけを選んで、石(イワナガヒメ)を退けた人が短命となってしまう話やったから、同じようなメッセージやったはず。
インドネシアでも似たようなテーマが残されているんやね。
こと:
植物は、美しくみずみずしくて魅力的。だけど柔らかくて儚い存在で、すぐに枯れてしまう。
岩石は、ゴツゴツしていて華やかさはない。だけど固くて強い存在で、永く形を残す。
寿命もあって、きれいなものに惹かれてしまう人間は、植物に近いものであり、岩石からは遠いものである、という認識があったのだろうね。
しま:
この二つの神話からは、
「人間は、自分に近い綺麗なものや美味しいものだけを手に入れてしまうもんや。そんな姿勢やと、大切なものを失ってしまうんやで」という主張が見られるね。
自分の表面的な感覚だけを信じひんよう、神話の形をとって年長者から若者へ語り継がれてきたんかな。
こと:
中沢さんは、神話のことを
人間に、自分に相応しいつましい場所を宇宙の中で与えようとした哲学
と表現しているよ。
しま:
自分にふさわしいつましい場所。
人間はちっぽけな存在なんだよ、だから世界は自分中心に回ってる、みたいに勘違いして調子に乗ったらあかんよ、ってことなんかな。
こと:
カイエソバージュのなかでは、他にもいくつか神話を紹介しているけど、ちょっと省略して次に進むよ!
しま:
え、なんで?
いろんな神話ちょこちょこ見回していくの、発見たくさんでおもろいやん!
こと:
実はね、、私、石が好きなんや。
綺麗な石も無骨な感じの石も、地層になった石も、全て美しいのにやで、なんで石があんな扱いなんや、、。
神話なんて、、。
ちくしょう。
しま:
いや、ちょっと待って。
そのカミングアウトはトークの流れがおかしなるからやめとこ。
こと:
それにね、しまちゃんとシンデレラの物語について語りたくて仕方がない。
しま:
シンデレラ?
こと:
あれ、実は神話が元になってるんだって。
しかもね、時を超えてどんどん改変が加わって現代の形になっていて、
中沢さんがそれを紐解いていくのがとても面白かったの。
しかしこのままのペースだとシンデレラに全然たどり着けない。
しま:
この素朴なバナナの次にシンデレラを語るの?
こと:
いや、さすがにもう少し準備が必要なの。
だからね、次は燕石(エンセキ)のお話だよ。ちゃちゃっといっちゃうよー!
しま:
えんせき、、、??
カイエソバージュ1-2 コノハナサクヤヒメの物語 ~えっ、美人だけじゃダメなの?~
【中沢新一『人類最古の哲学 カイエ・ソバージュⅠ』講談社選書メチエ,2002】
〇過去記事はこちら
(第1回:神話の時代)
https://d-m-corocoro-studio.hatenablog.jp/entry/livre/cahier_sauvage/1-01
しま:
お昼ご飯にな、唐辛子の輪切りみたいなやつが入った焼きそば食べてん。
辛ウマでめっちゃおいしかったんやけどね、空気中のピリ辛成分にむせてしまって、
ゴホゴホやってたら、そのあと何故か鼻がすごく痛くなって・・・
鼻をかんだら、唐辛子が出てきた。
こと:
それを最初に言いたかったの?
しま:
うん。
こと:
そっか。
しま:
うん。
こと:
、、さて!!
前回に続き、中沢新一さんのカイエ・ソバージュⅠのお話をするよ!
早速だけど、しまちゃんと語りたい神話がある!
しま:
燃えてるね!
こちらも鼻が熱いよ!
こと:
はい、ティッシュだよー。
記念すべき最初の神話は、古事記でお馴染み、コノハナサクヤヒメの物語。
中沢さんは、このお話をもって、神話というものがどういう語り方をするのかを解説してくれたの。
◆コノハナサクヤヒメの物語
(『古事記』神代上巻 から、だんごむし工房意訳です)
(参考文献:池澤夏樹訳『古事記』河出書房新社, 2014)ホノニニギノミコト(番能邇邇芸命)は、笠沙の岬で美しい乙女に出会いました。
ホノニニギノミコトは乙女に「おまえは誰の娘か」と尋ねたところ、
乙女は「オオヤマツミノカミ(大山津見神)の娘で、コノハナサクヤヒメ(木花佐久夜毘売)と言います」と答えました。続いて、「おまえには兄弟姉妹はいるか」と尋ねたところ、
乙女は「イワナガヒメ(石長比売)という姉がいます」と答えました。そうして、「私はおまえと結婚しようと思うが、どうか」と仰せられたところ、
乙女は「私からはお答えできません。父オオヤマツミノカミがお答えします」と答えました。そこで、ホノニニギノミコトが使いを送ったところ、乙女の父であるオオヤマツミノカミはおおいに喜んで、たくさんの結納品とともに姉のイワナガヒメを添えて、差し出しました。
しかし、その姉はたいそう醜かったため、ホノニニギノミコトはこれを恐れました。そして、妹のコノハナサクヤヒメだけをとどめて、姉のイワナガヒメを送り返してしまいました。
イワナガヒメを返されたオオヤマツミノカミは、ホノニニギノミコトに次のように申し送りました。
「私が娘を二人とも差し出したのは、イワナガヒメを受け入れればあなたの命が常に岩のように堅く動かずにいらっしゃるだろう、コノハナサクヤヒメを受け入れればあなたは木に花が咲くようにお栄えになるだろう、と誓約したためです。
イワナガヒメを帰らせて、コノハナサクヤヒメだけを留めたために、天つ神の御子であるあなたの御寿命は、桜の花のように短くあられるでしょう。」このために、いまに至るまで、天皇たちの寿命は長くないのです。
しま:
うーん。なんか、やっぱり大味な物語やね。
前回の話やと、神話には、この世の理や生活のルールを組み込んでるってことやったけど・・・。
なんとなく、人が寿命を持っている理由らしきものを説明したかったんやろうとは思うけど、だから何なんだというか、しっくり来んかったわ。
こと:
わたしも同じ感想だったよ。
でもね、お話をしっかりかみ砕くと、この神話が表す世界が少しずつ見えてきて、中沢さんがこの話を選んだ意図がわかってきたよ。
まずは、登場人物が何を表しているのか、だよね。
しま:
神話は永い時間をかけて洗練された物語だから、名前ひとつにも細かく意味が込められてるって言ってたね。
コノハナサクヤヒメがお花、イワナガヒメが岩を表してるのはなんとなくわかったけど・・・。
こと:
古事記としては、天つ神であるホノニニギノミコトと国つ神の娘が結ばれるところと、人が綺麗なものだけを受け入れてしまい醜いもの(タナトス(死))を受け入れられなかったところが重要なんだって。
ひとつ目の「結ばれる話」はね、
「この神話は、当時九州に住んでいたひとと、朝鮮からやってきた異民族との結婚のことを取り上げているお話である」
と想像されるんだって。
しま:
異民族?
なんでやねん・・。
こと:
ホノニニギノミコトは稲穂の神様。
日本列島に稲作をもたらしたのは朝鮮半島からの移民で、彼らと土着の民が結婚によって結ばれることによって、列島上に稲作の文化、鉄という道具、国家という社会形態を広め、それが繁栄につながった、と考えられるらしいの。
しま:
おおっ!
稲作が、そして日本という国が結婚によって繁栄するというお話やったんやね。
なんとなくしっくりきた。
しかし、古事記ってそんな感じやったとは。
こと:
娘の結婚を認めるのが親であることなんかは言わずもがな、
九州の縄文社会では、有力者の結婚は娘に姉妹があれば一緒にめとるやり方が一般的だったらしいんだって。
つまり、ホノニニギノミコトの行動は当時の非常識だったということになる。
ここから先は中沢さんの本には書いてないけれど、
「沢山の妻を娶ると、その力は長く続く(有力者の血筋を引く子孫が増える)一方、それをやめてしまうと栄華は短くなる。だから姉妹のうち一人だけをめとるようなことをしてはならない」
というような逆説的な意味も込められていたのかもしれないね。
しま:
異民族の常識の違い、かー。
こと:
そして二つ目の「綺麗なものだけを受け入れてしまう」ということ。
人間は、一見して美しいものに惹かれてしまい、恐ろしい形をしたタナトス(死)を受け入れることができないということを示している。
しま:
うーー。
急にタナトスとか言われても・・・結局何が言いたいんや?
岩石や永遠みたいなものと我々とは住んでいる世界や流れている時間が違う、遠い世界のお話なんだよってこと?
なんか腑に落ちないというか、スッとはしないよ。
こと:
面白いのはね、現代では腑に落ちないこの考え方に基づいた神話が、全世界で見つかるということなの。
人間は岩を選べないけれども、神話は、それを必ずしもダメだって言っているわけではないんだよ。
このことはね、次回語り合おうと思っている神話に書いているから、お楽しみに、だよ!
ちなみに広辞苑によると、哲学(philosophy)とは「物事を根本原理から統一的に把握、理解しようとする学問」だから、これらの神話はまさに哲学で、、、
しま:
あっ、本のタイトル!「人類最古の哲学」!!
しかしめっちゃ面白そうな取り組み・・・であるとともに、果てしなく困難な道のりやね。
でもでも、面白い!!
こと:
ちなみに、この内容は「比較宗教論」という名前で講義したらしいよ。
われわれド理系の蒙が啓かれるね!
(※こと・しまは、出自も考え方も全力で理系です)
というわけで、次回は、インドネシアのポソ族の神話からはじまるよ!
しま:
インドネシア?ポソ・・?!
カイエソバージュ1-1 人類最古の哲学
【中沢新一『人類最古の哲学 カイエ・ソバージュⅠ』講談社選書メチエ,2002】
こと:
きょうは、中沢新一さんの「人類最古の哲学」のお話をするよ!この本は、全5冊からなる『カイエ・ソバージュ』シリーズの第一冊目。とてつもない名著だよ!!
しま:
人類最古の哲学、、カイエ・ソバージュ、、
中沢新一さん?中二病のひとなんやね。
単語のパワーがすごくて内容が全然想像できひんけど、これおもしろいん?
こと:
中二とか言うな!その筋ではとても有名な人なんや・・・。
カイエソバージュは、「Ⅰ:人類最古の哲学」からはじまり、「Ⅱ:熊から王へ」「Ⅲ:愛と経済のロゴス」「Ⅳ:神の発明」「Ⅴ:対称性人類学」と続くよ。
一連のなかで、人類がこれまで「超越的なもの」とどう向き合ってきたか、その歴史を紐解いていくよ。
きっと、思ってるより100倍面白いよ。人生観も割と本当に変わるよ!
しま:
中二系の単語がゴロゴロ並んでおる。ゴツゴツしすぎてて、もはやカッコいいと言ってええのかもよくわからへん・・・。
まあ、人生観とまで言うのなら、お聞かせ願いましょう。
カイエソ、解説お願いしまーす。
こと:
(カイエソ・・)では、いっくよー!
1.はじまりの哲学
こと:
さて。
突然だけどさ、しまちゃんは、「神話」というとどんな印象を持ってる?
神話といっても、民話とかでもよくて、「昔から伝わっている物語」のことだと思ってくれれば大丈夫だよ。
しま:
ほんまに突然やね。
神話・・・民話・・・スサノオが、ヤマタノオロチにお酒を飲ませて、酔っぱらってる間に刀で首切ってやっつけましたーとか?
しま:
感想とか言われても困るくらいの印象しかないけど、なんとなく、大味な物語やねーって感じ。
すぐ死ぬし、蘇るし、やたら具体的に「桃の木」とか指定してくるし。
なんていうか、僕に言わせると、話の軸がブレとるね。
「黄泉の国に奥さんが連れ去られたから連れ戻しに行った」とか、設定は面白いし、想像力はまあまあ豊かやとは思うけどね。
やっぱり昔の人は物語作るのうまくなかったんやなーって思うよ。
こと:
(コイツ偉そうやな。)なるほどね。たしかに大味。話の流れも突拍子もないように思えるよね。
・・ところがね!カイエソバージュ読んで、そんな神話を理解できるようになってびっくりしたん!
実は神話って、物語を楽しむためだけに作られたものではないんだよ。
本来の目的があって、それを果たすために作られているから、実は厳格なルールに沿って緻密に作られてて、それが永いあいだ伝承されてきたんだよ。
しま:
(語りだした。)
こと:
これを理解できるとどうなるか?
・・例えば!
図書館になんとなく存在するアイヌ民族の物語もものすごく読める。面白くなる。
あのワケわからなかったはずの話の結末が予想通りになるんだよ!
すごくない?!
しま:
(めっちゃ語るやん。)神話とか理解してどうすんのー?
こと:
(コイツほんま!)ええから、いっかい、聞いて。
しま:
(・・・・。)・・・ごめん。
こと:
さて、風呂敷広げたはいいんやけど、この本、めっちゃ深いねん。
語りだすと取り止めがなくなるから、テーマ区切って複数回にわたって話すよー。
しま:
それはナイスなアイデア!
で、まずは何をお話しいただけますか?
こと:
そだねー。じゃあ今回は、「実際に神話が語られていた時代について」にしよ。
想像してみて。どんな時代だと思う?
しま:
狩猟採集!ジビエ!木苺のジャム!
朝起きて、ミーティングして、弁当持って狩りに行くやろ?
ほんでジビエで木苺のジャムでフレンチや。
こと:
単語がやたら現代的やん。
しま:
んで、僕の見立てでは、神話について話すのはその後や!
朝のミーティングのときは、天候とか見ながら狩りのこと相談せなアカンから、ゆっくり話すなら、
ご飯食べて日が暮れたころ、寝る前のひとときなんちゃうやろか。
こと:
きっとそうやと思うねん、例えば、、、
ーーーー
明かりもない、村と森との境界も曖昧な世界。
日が暮れて、世界が緩やかに夜の闇へと溶け込んでいくころ、
少し心細くなったところで語られる物語は、きっと心に響くだろうね。
話すのはいつも同じ、みんなを安心させられる、信頼の厚い人物。
語り手は考えます。どんな物語がいいかな?
・・・武勇伝かな?美味しい木の実の見つけ方?
いいや、元気が出る物語や、食べ物のはなしは狩りの前にしたほうがよさそうだな。
・・・それじゃ、世界の成り立ちはどうだろう。
世界はどうやってできていて、我々はここでどうやって生きているのか。
語り手は、一日のうちの特別な時間にだけ、この世界の秘密をそっとあかします。
聞き手は真剣です。それが自分の知るこの世の理のすべてなのですから。
ーーー
しま:
生きていくための技術は昼に学び、夜は精神を養う時間やったんやね。
こと:
この時代の大きな特徴はね、「話し言葉であること」なんだって。
文字に残らない物語は、回数を重ねるうちに話の内容こそ少しづつ変わってしまうけれど、
それは長い時間かけて洗練されていくということでもある。
例えば、神話の中に出てくる鳥や植物の種類ひとつひとつには、昔の人がそれらの動物に対して持っていた印象が残るんだよ。
しま:
なるほど・・「無駄に具体的や」って言ったけど、
そこにはホンマに具体的な意味が込められてたってことなんか。
こと:
そう。
覚えやすく洗練された物語が、特別な時間に繰り返し話され、繰り返し聞かされることで、記憶や印象に残る。
そうやって、神話に乗せて語られる重要なこの世界の理が、時代を超えて継承されたんだよ。
ここでもうひとつ大切なことがあって、
彼らは神話の中に生活のルールを巧妙に組み込むことで、ルールに説得力を持たせ、それで秩序を守ったんだよ。
しま:
おお・・!どういうこと?!
こと:
ふふふ。
次回は少しずつ、具体例を出していくよ!!
※注意
この記事は、中沢新一『人類最古の哲学 カイエ・ソバージュⅠ』講談社選書メチエ,2002を元に記述しています。
カイエ・ソバージュを読んだふたりが興奮して語った、妄想の入り混じったトークの要約です。
ゆっくり公開するよ!
テストもかねて投稿します。
もしここを見てくれた人がいたら、
ちょっとだけ楽しみにしてくれると嬉しいな!